株式会社講談社のプレスリリース
いまだに人気は衰えず、2021~22年に世田谷文学館他で開催された「安西水丸展」は、コロナ禍にもかかわらず連日行列ができるほどの盛況で、没後に刊行された著書は10冊を超えました。
その水丸さんは、晩年、小説現代に読み切り漫画を連載していましたが、急逝されたためシリーズは4本で中断してしまいました。作品は、いまだ伝説となっている水丸さんの漫画デビュー作『青の時代』の流れを汲み、抒情的で独特のエロティシズムに溢れています。
この4本の読み切り漫画に、水丸さんと関係が深かった方々、村上春樹さん、角田光代さん、平松洋子さん、柴門ふみさん、木内達朗さん、信濃八太郎さんの6人に、彼らだけが知る水丸さんの魅力を語ってもらったエッセイを合体させました。
ごくごくシンプルなのに誰にも似ていない。そんな安西水丸さんの魅力を再確認できる一冊です。
【漫画】
「陽だまり」
高村純、26歳。込山組の金融部門で、取り立て屋の品田老人について仕事をしている。純は、品田老人と2年の愛人契約を結んでいる女・加代と関係をもってしまったのだが……。
「アメンボ」
上川光一、32歳。売れない映像カメラマンだ。ある日、水難事故でおぼれかけた女を助けようとして負傷、不能になってしまう。事故の原因となった女・安美は責任を感じ、光一に尽くすのだが……。
「ボートハウス」
小西のぼるは15歳。退屈な夏休み、堀端のボートハウスでアルバイトをしている。バイト先には美佐子という気怠い空気をまとった年上の女がいた……。
「冬の客」
締め切りが迫った仕事を片付けるため、北海道石狩湾のとある海岸近くのペンションを借りた翻訳家。そこに、訳あり風の姉妹がやってきて……。
【エッセイ】
「安西水丸さんのこと」村上春樹
村上春樹さんと安西水丸さんの関係は、春樹さんが千駄ヶ谷で経営していたジャズ喫茶「ピーター・キャット」に、近所に住む水丸さんが通い出したことから始まり、1983年には、春樹さんの最初の短編集『中国行きのスロウ・ボート』の表紙を水丸さんの絵が飾っている。その後、お二人は「文・村上春樹、絵・安西水丸」という形で、『村上朝日堂』を始め多くの共著を世に送り出し、その関係は、水丸さんが世を去るまで続いた。
「安西水丸さんについてのエトセトラ」柴門ふみ
柴門ふみさんはお茶の水女子大在学中から、安西水丸さんと交流があり、水丸さんのエッセイ集『青山の青空』(新潮文庫)では、巻末の特別対談に登場している。
「安西水丸さんのイラストレーション」木内達朗
木内達朗さんは、安西水丸さんが「東京イラストレーターズ・ソサエティ」の理事長を務めた時代の理事の一人であった。著書に、絵本『いきもの特急カール』(岩崎書店)、漫画『チキュウズィン https://c.tatsurokiuchi.com/』などがあり、水丸さん同様、多才なイラストレーターである。
「毒舌と余白」角田光代
角田光代さんは、安西水丸さんが部長を務めていた「カレー部」の部員として、都内各所の美味しいカレー屋さんで舌鼓を打ち、日本酒を痛飲して、愉快な時間を過ごしていた。
「角鉢のなかの風景」平松洋子
平松洋子さんの食を楽しみ、食を哲学する絶品エッセイ『ひさしぶりの海苔弁』『あじフライを有楽町で』では、安西水丸さんが挿絵を担当している。
「安西先生のこと」信濃八太郎
信濃八太郎さんは、大学在学中に安西水丸さんの薫陶を受けて、イラストレーターを志す。水丸さんの没後、WOWOWで放送されている映画番組「W座からの招待状」のナビゲーター役を引き継いでいる。
【著者プロフィール】
安西水丸(あんざい みずまる)
1942(昭和17)年、東京生まれ。重いぜんそくのため、3歳から中学卒業までは、母の郷里、千葉県千倉町で育つ。日本大学芸術学部美術学科卒業。電通、ADAC(ニューヨーク)、平凡社を経て独立、フリーのイラストレーターとなる。朝日広告賞、毎日広告賞など、受賞多数。イラストレーターとしてだけではなく、広告、装幀、漫画、小説、エッセイ、絵本、翻訳など多方面で活躍した。
2014(平成26)年逝去。
漫画家・安西水丸のデビュー作は、伝説の漫画誌「ガロ」に嵐山光三郎氏の勧めによって描いた「怪人二十面相の墓」(原作/嵐山光三郎)である。水丸漫画には、この「怪人二十面相の墓」を含む最初の短編漫画集『青の時代』や『東京エレジー』『春はやて』などの繊細で叙情的な作品群と、『普通の人』などのオチがない、独特の可笑しさと怖さが同居する四コマ漫画集という、テイストがまったく異なる二つの系統がある。
【商品概要】
商品名:『安西水丸が遺した最後の抒情漫画集 陽だまり』
定価:本体1800円(税別)
発売日:2023年8月21日
判型/ページ:A5判/128ページ
ISBN:978-4-06-530469-3
発行:講談社ビーシー/講談社